「競走に勝つことは大事だが、それよりも大事なことは自分に勝つことである」。秋空のもとに繰り広げられた運動会での講評者の言葉である。刑務所内での運動会。受刑者が1年間掛けて取り組む最も楽しみの行事である。50メートル競争(個人)でのゴールに向かう勝つ事への迫力はすごい。とりわけ対抗リレーでの挑みは自分を見せる事への全力疾走での競い合いだ。それに例え、負けが決まっても最後まで気を抜く事はない。まさに選手は素直に全身全霊を注ぐの言葉通りである。そして、3位までに授与される賞品を受け取る表情は満足感が漂い晴れやかだ。人を殺めた受刑者とはとても思えない。
冒頭の言葉は、更生支援奉仕をする教誨士・篤志面接委員・技術指導者等の来賓を代表され、健闘を讃えたうえでの結びの言葉であった。讃えつつも何を成すべきかをきちっと示した示唆の凄さは見事である。小生は篤志面接委員して、受刑者に話し方の指導と、仮釈放時の釈然研修を担当してきた。受講受刑者を目にすることあり、毎年この運動会参観は楽しみとしてきた。
「自分に勝つ」帰路、「おまえはどうか」と自問してみた。自制、自律、決断、勇気、最高実践、継続、我慢、はてまた、「昨日の我に今日の我勝つ」との成長意欲は、と浮かぶ言葉で自問自答である。いずれも自信がない。いかに、厳しさの足らない甘えの自分であることを自悔した。30年間月一回の話し方サークルでの指導継続、毎週火曜日朝6時から、地元経営者とのモーニングセミナーの参加を32年間継続していることは認めていてもである。「あのときにこうしておけば・・。」の自己を粗末にする事を戒め、悔いなき勝者になりたいものだ。
ふと、参観中同志の面接委員と交わした会話が思い起こされた。「今、社会に出ての対人関係講座」を担当しているとのことだった。話し方講座を発展的に改善した講座である。「所内生活は不自由(規律、規則、監視での行動)社会に出たら自由だから難しい」のだという。なぜ、自由があるから迷いや甘えがでる。時には自制なき無軌道な行動に出る。最近目にするひったくり、コンビニ強盗、DV・・自己に負けたあげくの犯罪行為だ。特に人との関わりの苦手が無理な自己解決に陥るのだろう。更生しても累犯要因のともいえそうだ。
「自分に勝つ」ビジネスマンにも共通する言葉である。先般 N社の新人フオローアップ研修を担当した。冒頭K常務から「まあこのくらいでいいだろう、のまあまあ主義はいかん、来春は先輩社員、あの人に頼めといわれる人になれ」との期待挨拶があった。誠に的をえた言葉である。半年間の成長は、できない自分ができるようになった。勿論やり方のスキルを身につけたレベルであるが・・。だから、自然と慣れが生ずる。それは何事にも必死さがあり、きちんと真剣に取り組む、貪欲な学び力のあった初心の衰退になっている事が今後の課題になるからだ。そこには、学生時代の自由さから、企業人へ脱皮するための社則、規律、マナー、先輩の目、指導による言動の不自由さに対応する自分があった。しかし、半年間で不自由さが自然と解けてきた。K常務のピシッと決めた言葉はまさにその懸念解決への道筋である。そこで、2日間各自が厳しく自己診断し、自信の確認と、意識、行動改善の気付きを支援指導した。修講の「トップ企業の憧れられる先輩の活躍の方向性」には「初心を忘れない」「失敗を恐れず挑戦」「仕事の意義の追求(何故・どうしての根拠)「鍛造の○○と言われるプロになる」「自己磨きを怠らない」「当たり前のことを悔いなき最高実践」「上からも頼られる新人」などのキーワードが飛び交う。従って、各自の決意表明的感想発表では、4月時の勢いの再現だ。違いは、4月は想像、今は生体験を基にした現実からの実質的成長への勢いだ。
指導者よ「まあこのくらいできれば良しとするか、自分も忙しいし・・」に類する心情があったら是非、指導者として自分に勝つ事を願いたい。これからが指導の本番。ハウツーの形をこなすことから「何故、どうしての」奥行きを丁寧に指導するとき、そこから、新人の潜在能力がいきた目的に即した知恵が発揮されるからである。それこそ職場に新戦力を求めた意図である。
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